「脚気の原因はビタミンB1不足」だと森鴎外は認めなかった

白米が体に良くないということは、江戸時代末期には、まだ分かっていませんでした。実際に、米を精製加工することで欠落するビタミンB1不足によっておこる脚気に罹患する人がたくさんいました。
 
当時は「江戸患い」と呼ばれていた脚気ですが、それは参勤交代で江戸詰めになった武士が体調を悪くし、国許(くにもと)に戻ると良くなることから、そう呼ばれていたのです。

江戸で白米を食べるという食習慣が問題だったのですが、残念ながら当時はそのことを解明できなかったため、脚気で命を落とす人も随分いたようです。
 
徳川家・第13代将軍家定、第14代将軍家茂、そしてその妻であった和宮親子内親王も脚気で死亡したといわれています。
 
明治に入ってからも脚気は猛威を振るい、日清戦争で戦地に赴いた兵士の間でも蔓延していました。陸軍も海軍も、この脚気の流行には頭を悩ませたようですが、はじめにその解決法を見出したのは海軍です。

後に海軍軍医総監となった高木兼寛が栄養障害説を唱え、麦飯を食べさせるなどの兵食改良を進めたことにより、海軍兵士は脚気を克服していきます。
 
後れを取ったのは陸軍でした。19歳という、当時としては最年少で東大医学部を卒業し、後に陸軍軍医総監にまで上り詰めるエリート軍医、森林太郎(森鴎外)が脚気細菌説を唱えて海軍の高木を激しく攻撃します。

脚気という病気は手足のしびれからはじまり、足のむくみが出て、やがて食欲不振となり、動悸がしたり、さらに進行すると歩行困難となり、最後には心不全で死亡してしまいます。
 
海軍と同じように、陸軍も麦飯を導入すれば間違いなく脚気によって命を奪われる兵士の数は減ったはずです。しかし森鴎外は自説に固執し、兵士に麦飯を供給しなかったのです。それどころか、脚気がビタミンB1不足によって起こるということがわかって以降も、生涯にわたって誤りを認めませんでした。
 
念の入ったことに森鴎外は、日清戦争後に『衛生新篇』という書物を刊行しています。この本は1000ページ近い大作ですが、その中には脚気への言及は一切なかったそうです。どうしても脚気の原因が栄養にあるということを認めたくなかったのでしょう。

なぜここまで頑ななのかと不思議に思いますが、結局のところこの騒動以来、日本においての栄養学は学問的に隅に追いやられることになります。そしてそれは今でもあまり変わりがありません。

欧米などの先進国において栄養学は、医学の一系統として扱われていますが、日本では家政学のカテゴリーに入ります。知人の医師に聞いても、医療現場では栄養学的な議論はしない、というのがお決まりのようです。

入院患者などの食事に関する指示出しも医師からの一方的なもので、管理栄養士でさえ口出しはできないのが現状です。

日本では、さまざまな社会現象、事故、犯罪に、食事や栄養というものがどれほど深く関わっているかが議論されることもなく、原因解明もなされないのです。

犯罪学、犯罪社会学といった学問分野がありますが、研究者は犯罪者たちの脳の異常に気づいています。

そして、脳の異常には食事が多大な影響を与えていることにも気づいているようですが、肝心の食事内容に言及する、言及できる栄養学者がいないというのが現状です。

そのため、犯罪と食事の関連性は明らかになりません。もっと研究を進めなければいけない分野だと思います。

たとえば、低血糖、あらゆる食べものに含有されてしまっている化学物質、カドミウム・鉛・水銀などの有害ミネラルと体に必要な有効なミネラルの違い……、挙げれば切りがありませんが、これらがすべて脳の異常に関連を持つということは、すでに明らかになっています。

学問というものが、本当に人間の幸福や社会の発展のためにあるならば、栄養学は医学の一分野として認められてしかるべきで、そうなれば犯罪のみならず糖尿病をはじめとした生活習慣病と呼ばれる疾患、鼻・耳・目などの感覚器官にかかわる疾病、うつ病や子供たちに多発するADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)の治療にも光明が見いだせるかもしれないと思うのです。

それがいつ訪れるかわかりませんので、私たちは日常の食事の中で加工食品の比率を下げ、精製度の低い食品を選び、できるだけ自然に近い食べものを多く食べることを心がけるようにしましょう。

それは誰のためでもなく、自分と家族のためです。過度に加工された食品が食べるに値しないということを、もっと多くの人が知るべきですし、すでに知った方はそれを伝えるようにすべきです。

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