頂いた恩が自分のところで止まっている人には感動や感謝は循環しない

人は社会的生き物である以上、一人では生きていけない存在です。

どれほど成功している企業でも、顧客という他者がいなくなれば、一瞬にして価値がなくなります。

大成功をして、夢にまで見た南の島で暮らす生活も、一緒に喜ぶ友人が周りに誰もいなかったら、どんなに寂しい時間になるでしょう。

成功も感動も豊かさも、すべて他者との関係性の中に存在します。

試しに、今自分の半径1メートル以内にあるものを見てみましょう。

そこにある全てのものは、間違いなく誰かの手で作られ、誰かが作ったシステムを通じて、誰かの手であなたの目の前に運ばれてきたものです。

毎日の食事も、さっき飲んだコーヒーも、電車も、テレビも、全て世界中のたくさんのシステムの恩恵を受けて、自分という個人システムと繋がっています。

社会全体の分業化が進み、繋がりが見えにくくなっていますが、目の前の製品をたどっていけば、驚くような数の人間が関わっているはずです。

自分が生み出した価値が、まだ会ったこともないどこかの誰かの幸福に繋がる可能性に想いを馳せることができれば、目の前の仕事をもっと大きな視野で見られるようになります。

私たちは、人との関わりの中で、勇気や情熱、ねぎらいの言葉、素敵な笑顔、親切、心配り、愛情など、たくさんの喜びや感動をもらっています。

人からもらった喜びや感動を、「恩」という言葉に置き換えてみましょう。

恩をもらった人にお返しすることを「恩返し」。
恩をもらったのに、知らん振りする人を「恩知らず」。
そして、もらった恩を、自分を通して他の人へ送っていくことを、江戸時代の人たちは「恩送り」と呼び実践していたそうです。

辞書で調べても既に掲載されていない「恩送り」、日本人がどこかに置き忘れてきたものの重要な1つなのかもしれません。

「恩返し」は、当事者2人だけの世界で終わってしまいますが、「恩送り」は、社会全体に感動が広がっていくイメージが湧いてきます。

世界中の全ての人が、周りの人と関わりながら生きている限りは、必ずもらっているはずの恩を、それぞれの目標という舞台で、各自が他の人に贈りだしたら、いったいどんな素敵なことが起こるのでしょうか?

想像するだけで心が躍ります。

もらった恩を、そのまま「送る」だけでなく、自分という存在を通じて、一味(ひとあじ)の価値を加えて、ご縁ある人へギフトとして「贈る」という意味で、「恩贈り」という言葉として甦らせたいと願っています。

一人ひとりが人生において出会っている人が全く違うわけですから、もらっている「恩」も人それぞれ。

ということは、一人ひとりが「オリジナルな恩のかたまり」ではないかという発見に至りました。

忘れていることも多いけれど、自分の中に確かに存在する数々の「恩」は、自分を創っている成分なのです。

そう考えれば、誰もが、これまで数え切れないほど たくさんの人にもらった恩を組み合わせて、新しい価値や感動を生み出していることに気付きます。

「恩贈り」という表現のスタイルが、思想、信条、宗教、人種を超えて、世界が幸せになる現代の魔法のひとつになることを私は信じたいと思います。

恩贈りとは、感謝の循環のこと。

恩が自分のところで止まっている人には、感動や感謝は循環しません。

スムーズに循環させるために、誰かに贈る恩の基本、自分がもらっていた恩を思い出してみましょう。

お世話になったこと。
感動させてもらったこと。
勇気をもらったこと。
助けてもらったこと。
応援してもらったこと。
教えてもらったこと。
許してもらったこと。
守ってもらったこと。
励ましてもらったこと。

自分が「してもらったこと」を、思いつくまま紙に書き出してみてください。

思い出す過程で、大切なことに気付く人は大変多いようです。

あなたという一人の人間が行なう恩贈りという行為は、池に投げ入れた小石の波紋のように、やがて世界を幸福にする感動の循環に繋がっていきます。

★記事投稿者:SNS事務局


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